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第10章

第10章(カノン視点)

5月29日、朝――

物置部屋の冷えた床の上で目を覚ましたカノンは、再度眠ることもできず、ゆるゆると起き上がった。
双児宮で朝を迎えるのは最後になるかもしれない。行くあてはなかった。兄以外に、カノンが帰る場所などなかった。

まだ太陽が昇るか昇らないかの薄暗さの中、空気がぴんと緊張している。
カノンは物置部屋を出ると、双児宮を初めて訪れた人間のように辺りを見渡しながらゆっくりと歩いた。

双児宮の入り口。幼い頃によくこの段差に躓いて転んだな。いつもサガが心配そうな顔をして飛んできた。
そうだ、この隙間に隠れてわざとサガに探させたっけな。
この広場は二人で訓練をした所だ。体が大きくなるにつれ、広さが足りなくなっていったっけ。
この傷は俺がつけたものだ。隣のこれは、サガだな。他の誰が見ても分からないだろうが、俺とサガでは拳筋が僅かに違う。

壁に刻まれている古い傷跡にそっと触れながら、昔の記憶に思いを馳せる。
今思い出すのは、兄弟で共に笑って過ごした幼い頃のものばかりであった。
こうして双児宮で歩んだ歴史をできる限り拾い上げながらやがて出口へ辿り着いたカノンは、巨蟹宮へ向かう階段を上りはじめた。
ここに初めて連れてこられた時に感じた階段の険しさを思うと、今ではまるで別物のようだ。人生の半分近くを海界で過ごしたカノンにとって、その差は鮮明に感じられた。
階段を少し進んだところで、ふとカノンはこの高さから見える双児宮の景色を見たくなり振り返った。


「――サガ」


目に入ったのは、双児宮の出口で立つサガだった。
いつからそうしていたのか、カノンを見上げたまま佇んでいるサガの表情は何かを抑えているようであり、そしてどこか哀しそうに見える。
それはお互いの気持ちが通じなくなった頃からよく見かけるようになったサガの表情だった。
俺には会いたくなかっただろう。そうは思ったものの、サガは教皇の間に行くためにここにいるのだろうから、巨蟹宮の方角へ立ち去っても意味がない。
双児宮へ戻り、サガと擦れ違うほかなかった。

カノンは躊躇いがちに視線を落とし、双児宮に戻るために足を踏み出した。
階段を下りると、サガの目の前に立ち、

「今夜、出ていくよ……だからもう」

だからもうそんな顔をしないでくれないか、と言えず途切れた。ようやく昇りかけた朝日がサガを照らし、哀しみを帯びた青の瞳が一層の深みを増したからだ。
カノンはその瞳を一瞬見据えたが、振り切るように逸らす。そのままサガを通り過ぎ、双児宮に入っていった。


第10章(サガ視点)

5月29日、朝――

カタ、と小さな音がどこかでしたような気がした。
昨晩カノンの言葉を拒絶しベッドにうつ伏せたサガは、深夜に目が覚めシャワーを浴びた。
それからすぐに寝室へ戻り、ベッドの上で半身を起こしたまま、ついに朝を迎えようとしていた。

(カノンか……?)

サガはおもむろにベッドから降りた。もしかしたらここから出ていくのだろうか。
そうするように言い放ったのは自分なのに、カノンが行ってしまうかもしれないと考えただけでぎゅっと掴まれたように胸が痛んだ。

音を立てないようにそっと部屋を出る。
物置部屋をそっと開くと、カノンの姿はなかった。心臓の痛みが急激に増したサガは部屋を飛び出した。

こんな風に終わるのか、という焦りに急かされるように足早になる。心臓の痛みは増す一方だった。
双児宮のどこを探してもカノンは見当たらない。こんな風に昔、いなくなったカノンを必死で探したことがあった。
カノンをもう一度失えば、今度こそ二度と会えない気がした。

外へ出るとサガは立ち止まり、僅かに目を細めた。
巨蟹宮へと続く階段の途中でカノンの後姿を見つけたからである。

「カノ――」

呼び止めようとし、はっとして言葉を飲み込む。何を言うつもりだったのだろう。
カノンを失いたくない、しかしいつまでも双子座のスペアとして繋ぎとめていてはいけない。
何度も何度もそう言い聞かせる。カノンの幸せのために、と頭の中で繰り返した。

(幼い頃は私だけを見ていたお前が、今は誰を……)

階段をゆっくりと上り続ける後姿に心の中でそう問いかけると、まるで聞こえてしまったかのようにカノンが振り返りこちらを見た。
思いがけず見付かってしまい、サガの心臓がドクン、と跳ね上がる。表情を作る余裕も、言葉を選ぶ時間もなかった。

感情のまま動けるのだったら、走り出してカノンを抱きしめ、二度と離さないと言いたかった。
いっそ閉じ込めてしまえたら――湧き上がる衝動を罪悪感にも似た思いで必死に抑える。サガは法衣の袖の中で、拳を強く握り締めた。

二人の視線が交差した時間は僅かだったのかもしれない。しかしサガにとってはまるで百年そうしているくらい長いものに感じた。
それを破ったのは覚悟を決めたように踏み出されたカノンの足だった。カノンが目の前に立つまで、サガは動くことさえできなかった。
カノンの幸せだけを望む心と、カノンの幸せを踏み躙って自分のものにしたい心がサガの中で激しく暴れ、半分に引き裂かれてしまいそうだった。
その均衡を少しだけ狂わせたのは、目の前に立つ誰より愛しい弟が、その背後から昇りかけた朝日にゆっくりと縁取られていくのを見たからかもしれない。

「今夜、出ていくよ……だからもう」

そう告げたカノンの目は、強い。そして、今までもこれからもそんな瞳を持つカノンを愛している。
闇ばかり見つめながら日陰を歩み続けなければならなかった弟の未来を、朝日が、世界が祝福しているようにさえ感じる。
カノンが去っていった後、サガがきつく自分の胸を押さえたのを太陽だけが見ていた。


第10章(再び、カノン視点)

双児宮に入ったカノンは、逃げるように物置部屋へと入った。扉を閉めた途端、泣きたくなるような感情が襲う。
再びの生を受け入れることができたのは、サガとやり直せるという希望があったからだ。それだけに、これから先の長い人生をサガなしで過ごさなければならない絶望は計り知れないものがあった。

荷物を纏めるといっても、カノンには持って行きたい物すらない。しかし、唯一の心残りはデフテロスと遣り取りしていた日記だった。双子座の小宇宙が満ちている双児宮以外には持ち出せないものだと肌で感じる。

「楽しかったが、お前との付き合いもここまでだな」

苦笑しながらおとうと日記を開いた。朝も早いせいか、デフテロスからの返信はないままだ。
カノンは数瞬、文章を考えるために目を伏せると、慎重にペンを滑らせた。


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5/29

これが最後の日記になるだろう。
今夜出ていくと兄さんにも伝えた。デフテロス、最後だから言うが、俺も兄さんのことが好きだった。
俺の分まで幸せに暮らしてくれ。
短い間だったが楽しかった、今までありがとう

カノン
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いつかサガが見てしまう可能性を考えないこともなかった。しかし、もう会うこともなければどうでもいい懸念だと思った。
双子の兄へ愛を伝えたいなどと思ったことは一度もない。望んだのは許される限りただ側にいることで、そのため
に想いを隠していた。
しかしそれがもう叶わないのなら、サガに知られて軽蔑されようが分からないまま一生が終わろうがどちらでも良かったのだ。
カノンは溜息と共に本を閉じた。

お知らせ(3/10更新)

◆自家通販は現在行っておりません。
◆次回のイベント参加予定は2019年2月10日(日)開催予定の「GALAXYμ」(大阪)です。
◆2013年に寄稿した『雨のおと、魂のこえ』という短編を全文公開しました。オフラインから見ることができます。

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書いている人

名前:みなみ椿
サークル名:Spiral
地域:東海圏

・ライブラA型
・カプ固定(サガカノ・LCアスデフ)
・字以外は左利き

同人活動は2010年06月から開始。
オフ活動は2012年11月から開始。

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